横浜市港南区ってどんなところ?人口や各町名の由来など
皆さんは横浜市港南区についてどれぐらいのことを知ってますか?
下の図にあるとおり、神奈川県横浜市にある18区のうちの1つとして真ん中の下よりにある行政区です。2年前の2019年には区政50周年を迎えています。
さらに、横浜市がまとめている港南区のページを見ると下記のような情報がデータが載っています。(覚えやすいよう、一部ざっくり数値になっています)
広さについて
まず、横浜市港南区の広さは約20㎢(正確には19.862㎢)
ここは横浜なので、東京ドームではなく横浜スタジアムの球場面積(26,200㎡)で比較すると、「横浜スタジアムが約760個分がおさまる」広さ(1㎡= 0.0262㎢で計算)とお伝えした方がわかりやすいでしょうか。新横浜にある横浜国際総合競技場「日産スタジアム」の建築面積(68,313㎡)であったら「約290個分がおさまる」広さです。
まあ、どっちにしろイメージはあまりつきませんね。
東京23区で比べると港区(20.37㎢)や北区(20.61㎢)より少し小さいぐらいで、世界で一番小さい国であるバチカン市国(0.44㎢)であれば約45国分です。
やはり、あまりイメージはつかないかもしれませんので、もう「広さ」の話はこれぐらいにしておきましょう。広すぎもせず、狭すぎもせず、ちょうどいいぐらいの広さです。たぶん。
人口について
推計人口の項目を見ると、人口は約21万4000人
(うち男性は約10万5000人・女性10万9000人)
世帯数は約93,000とのことなので、1世帯あたりは2.3人。
日本全体の世帯平均人数が2.47人(2017年調査)よりもだいぶ少ない感じです。まあ、東京はさらに低く1.99(2015年調査)なので、都市圏は仕方ないことなのかもしれません。
町名数について
行政区分を細かく見ていくと、町名数は20町あります。
最戸
大久保
港南
港南中央通
日野
野庭町
上永谷町
下永谷
上大岡東
上大岡西
笹下
芹が谷
東永谷
上永谷
丸山台
港南台
日限山
東芹が谷
日野南
日野中央
さらに行政区分を細かく見ていくと、町数は84。 たとえば、港南台1〜9丁目を1つとカウントするのではなく、9とカウント
赤丸は上から上大岡駅、港南台駅、上永谷駅です。
先ほどの人口数を町数84で割ると、1町あたりの平均人口は約2500人。もちろん、町によってこの数値より多かったり少なかったり。
これまた横浜市の統計ポータルサイトで港南区の町別人口データを調べてみると
ダントツ1位で多いのが野庭町の21,410人。もっとも少ないのが上永谷町の114人
「え、野庭町の2万は野庭団地があるからわかるけど、上永谷町はそんな数のわけなくない?」
と地元の人間であれば、そう思って当然です。上永谷には、横浜市営地下鉄ブルーラインの上永谷駅があるぐらいなのですから。
しかし、実は、上永谷町は上永谷駅の近くにはないんです。
その場所は、、、
です。
そんなわけで、こんなクイズみたいな情報だけでなく、小さい子供がいる親目線で横浜市港南区の情報も増やしていければと思っています。
町名の由来について
いつかどこかで使える? 横浜市港南区通を目指す方のための豆知識として各町名の由来も記載しておきます。色々なWEBサイトからの抜粋だったりするので、正確さは保証できません。あらかじめご了承ください。
上大岡西・東(かみおおおかにし・ひがし) 1975年、大久保町、上大岡町、笹下町の各一部から新設された町。 古くは久良岐郡上大岡村といい、1889年の市町村制施行の際、久保村、最戸村、別所村、中里村、弘明寺村、下大岡村、蒔田村、堀ノ内村、引越村、井土ケ谷村、永田村と合併して大岡川村となり、1927年に横浜市に編入されて上大岡町となった。 古くは「大賀(おおが)郷」といい、これが「大岡」へと音が変化したという説もある。鎌倉街道や京急線の線路を境に西と東が分かれていそうな感じもするが、上大岡西1丁目内に上大岡駅など主要な商業施設があり、鎌倉街道も西1丁目を通っている。
最戸(さいど) 1975年に大久保町、最戸町の各一部から新設された町。 古くは久良岐郡(くらきぐん)最戸村といい、1889年の市町村制施行の際に、久保村、別所村、中里村、弘明寺村、上大岡村、下大岡村、蒔田村、堀ノ内村、引越村、井土ケ谷村、永田村と合併して大岡川村大字最戸となった。その後、1927年に、横浜市に編入され今の最戸町となっています。古くは、「宍戸(ししど)」または「鹿戸(ししど)」の感じが用いられたとも言われています。
大久保(おおくぼ) 1975年に大久保町、上大岡町、最戸町の各一部から新設された町。 1969年の行政区再編成に伴い、(旧)南区から編入。古くは久良岐郡久保村といい、1889年の市町村制施行の際、大岡川村大字久保となった。その後、1927年に横浜市に編入され、今の大久保町に。その際、すでに横浜市内に久保町(西区)があったため、「大」の字をかぶせて「大久保町」と名付けられるたという。
港南(こうなん) 1972年に笹下町、上大岡町、日野町の各一部から新設された町。 古くは久良岐郡雑色村、松本村、関村の三村で、1889年の市町村制施行の際、日野村、矢部野村、田中村、栗木村、上中里村、峯村、氷取沢村と合併し、日下村大字笹下となり、1927年に横浜市に編入された。その後、地元の要望によって区名の「港南」をとって港南(町)となった。
港南台(こうなんだい) 1981年、日野町、磯子区峰町、戸塚区上郷町、中野町の各一部から新設された町。 日本住宅公団(1981年に解散。その後統合等があり現在のUR都市機構に)が開発し、その際、地元に通称として使われていた「港南台」という名称が採用された。現在は3丁目に港南区第2の商業地であるJR港南台駅がある。
日限山(ひぎりやま) 1980年、上永谷町、下永谷町、野庭町、戸塚区舞岡町の各一部から新設された町。 日限山1丁目にある福徳院日限地蔵尊にちなんで名付けられた。昔、飯島勘次郎という人物が病気に苦しんでいた際、偶然通りかかったある僧侶に、伊豆にある蓮馨寺(三島市広小路町)に祀られている【日限地蔵尊】を信仰すれば病気は治ると教えられ、これを信じて祈願したところ回復した。その後、この功徳を広めようと蓮馨寺から【日限地蔵尊】の分身を移して、福徳院の本尊としている。 ちなみに【日限地蔵尊】は「日を限って願い事をすると願いが叶う」とされており、 港南区日限山だけでなく、日本各地に複数存在する。また、毎月「4」の付く日は縁日となっており、この日に願いごとをすると必ず叶うといわれている。
丸山台(まるやまだい) 丸山台の町がつくられる3年前、1976年に横浜市営地下鉄(現在のブルーライン)開業に合わせた大規模な区画整理事業が行われる。その後、1979年に上永谷町・野庭町の各一部から丸山台が新設。町名は古い小字(こあざ)にちなんでいる。
笹下(ささげ) 1977年、笹下町、磯子区森が丘二丁目、田中町、森町の各一部から新設された町。 古くは笹下村といい、1889年の市町村制施行の際、日野村、矢部野村、田中村、栗木村、上中里村、峯村、氷取沢村と合併して日下村大字笹下となり、1927年に横浜市に編入され笹下町となった。 小田原北条家の家臣だった間宮氏が、この地に城をつくった際、先祖の発祥地名を用いて笹下城(佐々木城)とし、それがそのまま地名となっていたという説がある。また、当初「佐々木」を地名とし、これが後に「佐々気村」「笹下村」へと変化していったという説も。
上永谷町(かみながやちょう) 1927年(昭和2)の横浜市編入の際、鎌倉郡永野村大字永谷の一部から新設された町。 1969年の行政区再編成に伴い、横浜市(旧)南区から編入された。古くは鎌倉郡永谷村といい、永谷上村、永谷中村、永谷下村に分かれていたこともあった。地名研究で「ナガヤ」は「長い谷」を意味するとも言われている。上述したとおり、所在地は上永谷駅周辺ではなく、日限山と野庭にはさまれた地域から舞岡公園(戸塚区)あたりまでの緑地帯がメインとなっている。
上永谷(かみながや) 1979年の住居表示施行に伴い、上永谷町、下永谷町、野庭町の各一部から新設された町。 環状2号線が通り、1丁目・3丁目には横浜横須賀道路、5丁目・6丁目には市営地下鉄が通っている。また、5丁目には学問の神様とされる菅原道真を祀った永谷天満宮(創建はなんと1493年!?)があります。1976年に開業した上永谷駅の周辺地として地名が「上永谷」になったと考えられている。
港南中央通(こうなんちゅうおうどおり)
1972の住居表示施行に伴い、笹下町、上大岡町、日野町の各一部から新設された町。町名は港南区の中央に位置することから、地元の要望によって「港南中央」が採用されたという。鎌倉街道や横浜市営地下鉄ブルーラインが通り、港南中央駅があります。港南区役所、港南警察署などの機関が集中しているエリアです。
日野(ひの)
1985年(昭和60年)の住居表示施行うに伴って、日野町、野庭町の一部から新設された町。一丁目には、港南スポーツセンターがあります。
日野南(ひのみなみ)
1983年(昭和58年)と1987年(昭和62年)の住居表示施行に伴って、日野町、野庭町の一部から新設された町。町名は日野町の南側に位置しているため「日野南」となった。
日野中央 (ひのちゅうおう)
1993(平成5年)の住居表示に伴い、日野町の一部から新設された比較的あたらしい町。町名は旧日野町の中央に位置することから
野庭町(のばちょう)
古くは上野庭村、下野庭村といい、1936年(昭和11年)に横浜市に編入される際、鎌倉郡永野村大字上野庭、大字下野庭から新設された町。1969年(昭和44年)の行政区再編成に伴い、(旧)南区から港南区に編入された。市住宅供給公社によって建設された野庭団地に1973年から入居が始まり、それ以降、かなり巨大な団地群となっている。
下記はこれから書きますね。。すいません。。
下永谷(しもながや)
芹が谷(せりがや)
東永谷(ひがしながや)
東芹が谷(ひがしせりがや)
コメント